週刊ヤングジャンプに大好評連載中の人気作品『キングダム』。
現在の『キングダム』では朱海平原の戦いに秦軍が勝利し、負けて同地を撤退し鄴に向かった李牧を追って王翦が新たな策を発動しようとしています。
ここで王翦は全軍中から精鋭の2割の兵を抽出し、速度を重視した追撃となりました!
ここで李牧は、秦軍の別働隊として桓騎軍が包囲中である鄴の解放を狙っているように見受けられました。
桓騎軍は兵糧不足に悩まされながらも鄴包囲を続け投降を呼びかけていますが、李牧の接近で逆包囲されかねない状況に陥りました。
そこで今回は、この桓騎軍中にあって最強の部隊と称されているゼノウ一家とその長・ゼノウについて取り上げます!
本作『キングダム』でこれまでに描かれた内容を中心に振り返っていきますね。
Contents
史実における「鄴攻め」の記述
史実の「鄴攻め」は史記・白起王翦列伝にも短い記述しかなく、詳細は不明というのが実情だと言えます。
そこには紀元前236年(始皇11年)、秦の将軍に任じられた王翦が趙に攻め入り、9つの城と閼与を陥落させたと記されているのみです。
そうした中からは、鄴を陥落させたのは桓騎軍であり、王翦自身は閼与と周辺の9つの城を陥落させたと見ることが出来そうです。
しかしこれもあくまで推測の域を出ず、全て王翦の手柄と見る向きもあり、流石に2,000年以上も前の出来事につき、断定することは難しいのが正直なところでしょう。
桓騎や桓騎軍の将としてのゼノウの史実
前述の通り、桓騎は紀元前236年(始皇11年)の趙侵攻作戦に王翦や楊端和と共に従軍していることが史記・白起王翦列伝から窺えます。
秦軍の将軍となったのはその1年前であり、『キングダム』作中での合従軍時における函谷関の守備や、黒羊戦への出陣などは残念ながら確認できないようです。
その後桓騎は、紀元前234(始皇13年)とその翌年の紀元前233(始皇14年)の2度に渡り趙国へ侵攻し、平陽と武城を落とすも李牧に破れ討死とも敗走したとも伝えられています。
一説には敗走した後に燕に逃れ、その地で樊於期と名を変えたとする説も存在するようです。
将軍たる桓騎についての史実がこうした状況となっていますので、その配下たるゼノウについては文献等にその名を見つけることはできないのが実情です。
そもそも『キングダム』においては桓騎は野盗上がりの無頼漢集団の領袖だと描かれていますが、そうした経歴を裏付ける記述もなく、ほぼ全て原泰久先生の創作であろうと推察されます。
『キングダム』作中にみるゼノウ
『キングダム』においてゼノウの存在が語られたのは、黒羊戦時に成り行きで尾平と那貴が所属する隊を入れ替わった時でした。
ここで一時的に桓騎配下の雷土軍に従軍した尾平が、同軍での案内役を務めた巴印から聞かされると言う形でゼノウの人物像が描写されます。
巴印曰く、ゼノウ一家とは北方で鳴らした戦闘民族とでも呼ぶべき野盗集団であり、荒くれ者揃いの桓騎軍内においても随一の武力を有するというものでした。
更にこの一家を束ねる長のゼノウ自身が、秦国一の巨漢将軍・蒙武よりも一回り以上大きく、素手で大牛の首をねじ切る怪力の持ち主と説明されます。
そうしたゼノウ故にここ一番の力攻めには絶大な力を発揮するものの、気に入らなければ味方も殺すと言う獰猛さから、桓騎でさえ近づくことは少ない謂わば諸刃の剣だと見做されていました。
ゼノウはその巨漢ぶりに見合った、先端に巨大な石のついた棍棒を振り回し、獣のような咆哮とともに敵兵を片っ端から叩き殺す並外れた膂力を見せつける怪物です。
名だたる武将は討ち取れていないゼノウ
ゼノウはスキンヘッドに血走ったギョロ目、顔面中に浮き上がった血管と左目の下あたりで交わった十時型の入墨、下顎からは飛び出した牙があるなど見る者を威圧して止まないビジュアルです。
しかしそうした人間離れしたゼノウのキャラクター故仕方の無いことだとは感じますが、普通に喋ることは少なく単語プラスアルファを発するのみであり、人となりを推察できるような台詞は望むべくもありません。
よってメタ的にみても桓騎軍の持つ「暴力」の象徴としての扱いと言うべきなのか、他の将に見られるような戦術・戦略の読み合いなどは描かれていないと感じます。
又、ゼノウは折角これほどまでの暴力を備えた武将にも関わらず、対峙した名だたる敵将を討ち取っていないことも顕著です。
例えば黒羊戦では岳嬰や慶舎などと遭遇するも討ち取れず、結果この二人とも信が討ち取ることになりました。
この二人とは直接干戈を交えなかったとも言えますが、同じく黒羊戦で紀彗と対峙したときも、その矛を変形させる程の一撃を繰り出したものの仕留めるには至っていません。
現在の鄴攻めでは桓騎が呼び出そうとした描写がありましたので、今後の展開に期待といったところでしょうか?
無頼漢揃いの桓騎軍でも際立つゼノウの実像のまとめ
桓騎軍中最強の部隊とされているゼノウ一家とその長・ゼノウについて、これまでに描かれた内容を中心に振り返りました。
「鄴攻め」の史実は紀元前236年(始皇11年)に王翦が趙を攻め、9城と閼与を陥落させたと記されているのみで、桓騎が陥落させた可能性が大きいものの断定することは困難です。
また桓騎が函谷関の守備や、黒羊戦へ出陣したことも史実かどうかは不明です。
文献での桓騎は、紀元前234(始皇13年)とその翌年に趙国へ侵攻、平陽と武城を落とすも李牧に破れ討死、もしくは敗走後に燕で樊於期を名乗ったとも言われています。
桓騎の配下たるゼノウの名は文献に見られず、作者の原泰久先生の創作であろうと推察されます。
『キングダム』のゼノウは、戦闘好きな野盗集団の長で、桓騎軍一の武力を持ち、蒙武よりも一回り以上大きく、素手で牛を殺せる怪力の人物でした。
ゼノウは攻めに力を発揮するものの、気に入らなければ味方も殺すと言う獰猛さで、桓騎も近づくことは少ないとされています。
ゼノウは巨大な石の棍棒を振り回し、これで敵兵を片っ端から叩き殺す並外れた膂力を見せつけました。
ゼノウの外観はスキンヘッドにギョロ目、顔面十時型の入墨、下顎には牙があり、普通に喋ることは少なく人となりは推察不能です。
メタ的に見て桓騎軍の「暴力」の象徴でありつつ、以外にも敵将は討ち取っておらず、黒羊でも紀彗を仕留められませんでした。
以上がゼノウに関する考察のまとめです!