キングダム

廉頗とはどんな人物?キングダム最強元趙三大天の功績や名言に最期まとめ

『キングダム』に数多く登場する将軍の中でも、史実のイメージをそのまま持っていると言われるのが趙の三大天として登場した廉頗です。

なんと『キングダム』614話で再び登場との情報も!

 

実際、史実での廉頗はまさに最強の将軍というべき活躍をしている将軍であると同時に、同じく三大天の藺相如のエピソードを持っています。

今回は『キングダム』で大いに活躍する廉頗について、史実をベースにその功績や名言、最期などを紹介していきます!

 

Contents

廉頗はキングダムに登場する名将

廉頗とはどんな人物?キングダム最強元趙三大天の功績や名言に最期

 

『キングダム』において廉頗は既に趙におらず、秦が趙と同盟した事で実現した「山陽の攻略戦」において亡命した魏軍を率いる形で登場します。

廉頗四天王を要する廉頗は、秦軍の総大将「白老」蒙驁と激突。

廉頗自身は秦軍本陣に乱入し、蒙驁と一騎打ちをし窮地に追いやりますが、総大将だった白亀西が討たれた事、状況不利から和睦を結びます。

 

山陽戦後には魏から追放され楚に亡命。

李園と媧燐に面会させるなどしています。

 

廉頗(キングダム)の性格

『キングダム』での廉頗は、廉頗四天王を要している事や本来自国ではない魏軍を振るい立たせるだけの武略があります。

同時に、自らを総大将とせずに魏軍の白亀西に任せるなど、思慮深い一面も持つまさに最強の将軍です。

 

魏からの亡命の際も配下こそ失いますが自身は健在のままで、おそらくは今後も活躍するのではないかと考えられます。

 

廉頗(キングダム)は史実では?

では史実において、廉頗はどのような人物だったのでしょうか。

 

廉頗の功績は『キングダム』において魏軍を率いるのが廉頗だとわかり驚愕する場面のように、実際に秦からも恐れられた存在でした。

 

廉頗の生没年に関しては残念ながら不明です。

生まれがどこかも分かっておらず、廉頗の事が初めて歴史書に登場するのは紀元前283年の事で既に将軍になった後の出来事です。

廉頗(キングダム)の史実上で将軍になってから

一方将軍になって以降は記述が多く、戦績や功績等は追いかけやすい一方で晩年については再び不明点が多くなり、最後を迎えた没年がいつなのかもまた不明です。

 

唯一分かっているのは、その生涯の最後を迎えたのが楚の寿春だという事だけです。

 

没年が分からないとはいえ、戦死ではないにも関わらずその最後を迎えた場所が分かっている事を考えると、それだけで廉頗が有名で注目されていた事がわかります。

 

廉頗(キングダム)の史実上の性格

史実での廉頗の性格ですが、これはそのまま『キングダム』の廉頗をイメージすれば問題ありません。

『キングダム』において史実から登場したキャラクターの中でも最も再現度が高いキャラクターとも言われています。

 

これは廉頗が中国の歴史書において廉頗の事を記す書物が多い為です。

『キングダム』でも語られた、王を諌めていた為に更迭されて魏国に亡命した、という流れも事実そのものです。

 

廉頗(キングダム)が最強と呼ばれる功績

廉頗とはどんな人物?キングダム最強元趙三大天の功績や名言に最期

 

では廉頗が『キングダム』の中でも最強と呼ばれるにふさわしい、その武功を紹介していきます。

 

廉頗(キングダム)最強の功績①:秦の侵略を阻止

廉頗の功績の最たる物と言えるのはやはり秦の侵略阻止にあります。

当時の秦は『キングダム』でも語られる贏政の曽祖父、昭王の時代で白起を初めとした猛将揃いで強国として知られていました。

そんな強国である秦が東に進む為に避けては通れない壁になったのが廉頗です。

 

最強の将軍の廉頗と正面から当たる事を避ける為、秦は搦手を使う必要があり、その絡めても蘭相如によりその尽くを防がれてしまう事になるのでした。

 

この功績は半分は蘭相如によるものではありますが、その前提となっているのは最強の将軍廉頗の存在です。

当時の国力で見れば本来秦が搦手を使う必要がないにも関わらず、廉頗がいる事によってその必要性が生まれ、秦はあの手この手を使う事になったのでした。

 

結果として趙は衰退する事になりますが、それは廉頗が亡命して以降の話で、廉頗が在籍していた時代には一進一退を繰り返しています。

 

廉頗(キングダム)最強の功績②:刎頸の交わりで趙を守る

趙が秦を相手に出来た理由と言えるのが、藺相如との和解エピソードである「刎頸の交わり」です。

自らの行いを恥、罰を受ける覚悟で謝罪があったからこそ藺相如も許し、廉頗と藺相如2人は友情を育み、以降も協力して秦に対処する事になります。

 

2人が去った後に秦の猛攻で趙が滅ぶ事を考えると、その力は計り知れない物があったと言えます。

 

廉頗(キングダム)最強の功績③:斉を侵略する

もちろん廉頗は守りだけをしていたわけではありません。

斉国戦のように攻めに出る事もあります。

 

合従軍があったとはいえ、そのままであれば再び東の大国になりえた斉を削り取った事も功績だと言えます。

 

廉頗は窮地を脱する意味でも最強の将軍であり、同時に攻めに転ずれば止める事の難しい最強の将軍です。

 

廉頗(キングダム)最強の功績④:燕を侵略する

『キングダム』でも過去のエピソードとして語られた、白起が率いた「長平の戦い」。

この戦いでは廉頗は元々総大将だったのを、白起の策により趙括と交代させられてしまい、大敗を喫する事になります。

その結果、趙は大打撃を受ける事になります。

 

この隙を突こうとしたのが隣国の燕です。

しかしこの時廉頗は、疲弊した趙軍を率いて燕軍を撃破。

逆に燕に侵攻して5城を獲得するという功績を上げています。

 

廉頗はこの功績を含む長年の功績から土地と名を与えられ、さらには紀元前251年以来空席になっていた相国代行に任命されます。

相国代行になって以降も戦場に立ち続ける事になりますが、この相国代行が立場的には最盛期です。

 

廉頗(キングダム)の名言

『キングダム』最強とされている廉頗の名言を集めてみました!

 

戦への思いの方がはるかに重い!

戦で育まれ 戦で全土に名を轟かせ 強敵と出会いこれと全身全霊を捧げて戦った

戦が廉頗の全てだ

(第18巻 その男、廉頗より)

 

必要ない 不完全な軍を何度送ろうと同じ事の繰り返しよ

(第19巻 飛信隊の作戦より)

 

許せ玄峰 つまらぬ死に方をさせた

戦場で生ぬるい事は言えぬが あれだけ死線を越えてきたうぬを失うとは

だが寂しがることはないぞ玄峰

すぐに秦兵の骸でそっちを溢れかえしてやるからな

(第20巻 蒙恬の提案より)

 

ゆがんでおる

王翦 貴様が昭王頃よりこれまで日の光を当てられなかった理由が分かったぞィ

己を第一とする武将は”信”が置けぬのだ

いかに戦が強かろうとそれでは人も貴様を英雄とは認めぬ

あえては否定はせぬが興味も失せたわ

(第21巻 欠落より)

 

時代の流れなどクソくらえだ 強者は最後まで強者

老いようが病に伏せようが戦場に出たならば勝つのが鉄則

(第22巻 廉頗の怒りより)

 

ああ関係ない!大将軍になるために必要なものは百の”精神力”

そして百の腕力 さらに百の知恵 あと百の経験と幸運っ・・・

それらを全て兼ね備えた趙国三大天と秦六将はかつて・・・

正に完璧な時代を築き上げた

その中で唯一生き残った儂は結局最強だったということかのうォ

そんな儂らと貴様は本気で肩を並べるようになれると思っておるのか!?

(第23巻 唯一より)

 

廉頗(キングダム)の最期はどうなる?

廉頗とはどんな人物?キングダム最強元趙三大天の功績や名言に最期

 

最強と言われている廉頗ですが、史実にも登場している人物として、実際の最期はどうなってしまうのか?

 

廉頗(キングダム)の最期:国からの仕打ち

廉頗も王族の決定には逆らえません。

紀元前245年、廉頗は魏に侵攻し城を落としている最中でした。

その時趙本国では孝成王が崩御して悼襄王が即位します。

 

廉頗は悼襄王が太子の時代から度々諌めていた為に嫌われていた事もあり、なんと罷免される事になってしまったのです。

廉頗は城攻めの最中であったにも関わらずその地位を取り上げられてしまいます。

 

廉頗(キングダム)の最期:反逆者として

廉頗の代わりにその座を引き継いだのは、廉頗に次ぐ将軍だった楽乗将軍。

しかし廉頗はその決定に納得がいかず楽乗軍を破ってしまいます。

 

国軍である楽乗軍を破ってしまった事で反逆者となった廉頗は、そのまま魏国へと亡命。

こうして『キングダム』でも描かれた「魏国にいる廉頗」という状態になります。

 

ちなみに間に挟まれる形となった楽乗将軍も亡命してしまった為、趙は軍事面で一気に後退する事になります。

 

それまで趙に忠誠を誓い、戦って回っていた廉頗の最後の将軍としての戦場が趙軍相手というのはあまりにも酷い仕打ちです。

この楽乗軍との戦いが史実で描かれている廉頗将軍としての最後の戦です。

 

廉頗(キングダム)の最期:帰国を許される

廉頗が去った趙では、廉頗と共に趙を支えていた藺相如も病気となった事で上層部の弱体化が一気に進んでしまいます。

そしてそれを待っていたのが秦です。

 

年代的にちょうど『キングダム』の時代、趙は秦からの猛攻に合う事になり徐々に滅亡が近づいていきます。

李牧や龐煖など『キングダム』でも活躍する人物も登場しますが、その活躍では足らず、悼襄王は廉頗を許し帰国するように促すのでした。

 

廉頗(キングダム)の最期:趙には帰れなかった

廉頗自身、また趙で軍を率いたいと考えており、悼襄王からの使者の前で大飯を喰らい馬に乗ってみせるなどまだまだ戦える事を示してみせます。

しかしそれが面白くない人物がいました。

それは趙の大臣で廉頗と仲が悪い「郭開」という人物です。

 

『キングダム』では呂不韋と結託する形で既に登場しているこの人物は、廉頗程の大物が戻ればその強い発言力を発揮して自身の権力が低下してしまうと恐れていたのです。

 

そこで郭開は廉頗の元を訪ねた使者を買収。

使者に廉頗は老いたと嘘の報告をさせる事で、悼襄王に廉頗を諦めさせるのでした。

悼襄王はその報告を信じて廉頗を諦め、廉頗の趙復帰の話は無くなってしまいます。

廉頗(キングダム)の最期:人物としては悲しい結末

『キングダム』では敗戦の責任を取って楚に亡命した廉頗。

史実ではそもそも魏軍を率いるような信頼を得る事もできず、軍を任される事さえなく戦場を求めて楚に亡命となっています。

 

しかし楚でも軍を率いる機会はなくその生涯を終える事になります。

 

猛将ながら趙から亡命を余儀なくされてからは戦場に立つ事さえ出来ず、その最期は寿命で死ぬ事になってしまうのでした。

 

逆にいえば、生涯最後まで正面を切って敗れた事がない廉頗ですが、それは戦場に立っていなかったからであり、生粋の武人でその才を持って成り上がった廉頗としては非常に悲しい最期だったのではないでしょうか。

 

廉頗とはどんな人物?キングダム最強元趙三大天の功績や名言に最期まとめ

廉頗とはどんな人物?キングダム最強元趙三大天の功績や名言に最期

 

廉頗は、『キングダム』においては最後に残った初代三大天の1人としてまさに最強の壁として秦軍、信の前にたちはだかる存在です。

率いているのが趙軍でないにも関わらず、その知略と武力で魏軍の力を引き出し、また自らの武を示すまさに最強の将軍というべき存在。

戦争の結果も自身はまだ戦えるにも関わらず総大将を討たれてしまうという理由で2019年9月現在も楚で生きている状態です。

 

確かにまだ肉体的にも衰えている姿も見られない廉頗。

今後更に活躍する可能性がありそうですね!

 

 

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まんがライフハック管理者/SHOT
漫画歴25年以上、読破した漫画は1000タイトル以上(だいたい) 。日夜まんがを独自視点で解説・考察。30代男性、日系大手→外資系戦略コンサル→起業構想中(←今ココ)。家族超ラブ(妻・長男・長女)!特に好きな連載中作品はワンピース・呪術廻戦・アンデッドアンラック・キングダム・ヒストリエ・ヴィンランドサガ・アオアシ・喧嘩稼業・ハンターハンター(一応連載中扱い)
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